Sooey

2010-11-03 17:12:48 +0900

ニュー・ニュー・シングを読み終えた。

その内容は、シリコングラフィックスネットスケープコミュニケーションズに続き[ジム・クラーク](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF_(%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E5%AE%B6)にとって3社目の上場となったヘルシオン(保健医療の電子化ビジネス)についてのエピソードを中心にクラーク自身について語るもの。シリコンバレーを舞台にしたノンフィクションものはどれも面白いので、ニュー・ニュー・シングも(ビジネスと関係ない章もあったりはするが)十分楽しめた。いつか読もうと思いつつなかなか機会がなかったのだけど、2000年に出た本なので中古で安く買えたのもよかった。

時代を感じさせる箇所をいくつか引用しておこう。

だからこそ、ネットスケープの創立当初から、クラークは遅かれ早かれ、おそらくは早くに、マイクロソフトが自分をつぶしにかかると見通していた。クラークは司法省の法律家たちに、マイクロソフトは現在の独占状態を利用して、インターネット・ブラウザー市場を牛耳ろうとするだろうと語った。マイクロソフトなら、たとえば、デルやコンパックなどコンピューターの製造会社に向かってひと言、「貴社の製品に、ネットスケープのブラウザーを積んだり、あるいは製品からマイクロソフトのインターネット・エクスプローラーをはずしたりすれば、お宅は店じまいすることになりますよ」というようなことを言っても不思議はないのだ、と。ところが、司法省の法律家たちは、それをたいしたこととは考えなかった!少なくとも初めのうちは。ゲアリー・リーバックはこう語っている。「ジムにはなんとなく未来が見えたんだね。それで、司法省のお役人たちに目を見開けって言い続けた。ビル・ゲイツより先に、どうなるかを見越していて、それを司法省に説明しようと心を砕いた。だけどあくまで先方は、昔の戦をわざわざ蒸し返して戦おうとしていたんだ」(250ページ)

請け合ってもいい、お次は間違いなくこう来るぞ」と、クラークは、しばしば大声で、しかも、たいてい唐突に切り出した。「まず、マイクロソフトがわれわれをブラウザー事業から締め出す。ブラウザー事業の支配権を握るや、ほかのポータル[ヤフー、エキサイト、ライコスなど]とのリンクを切り離す。マイクロソフトのポータルを通らざるを得なくするわけだ。そうしてポータル事業の支配権を手に入れたら、縦の市場を全部手中におさめる。そんなことを連中が望むはずはないって?すでに動き始めてるよ。請け合ってもいい、マイクロソフトは、縦の市場をことごとく支配下に置くだけの市場力を持ってる。遅かれ早かれ、保健医療にも乗り込んでくるさ」

三ヶ月後の、ちょうど、最大の縦の市場の支配を目指したヘルシオンが株式公開を取りやめた数日後に、現代史上最大の反トラスト法(違反をめぐる)裁判が始まった。先の先を行くものを模索する男には、どれほどの褒美がふさわしいかを、事実上、アメリカの法律制度が決定する裁判だ。そのころには、クラークを始め、ほとんど誰もが、その裁判を動かす誘引となったゲアリー・リーバックへの電話のことなど忘れていた。ましてや、マイクロソフトの反トラスト法裁判の本質に気づいていた者など、ひとりもいなかった。それは、クラークが崖の上から、またひとつ転がした石ころだったのだ。そして、その石ころが雪崩に変わるさまを、クラークはただ、神のような超然とした態度で見守っていた。(252ページ)

クラークのような人々がクライナー・パーキンスの資金を求めるのも、そのお墨付きの威力が最大の理由かもしれない。クライナーの光輪と、人は呼んだ。ただし、シリコンヴァレーの何もかもがそうであるように、光輪も誰もが手に入れうるものだから、クライナー・パーキンスとて安閑としてはいられない。ついさきごろも、宣伝効果抜群の大成功をベンチマークに持っていかれるのが怖くて、グーグル・ドット・コムという新会社に三十三パーセントの出資分として、二千五百万ドルを支払ったばかりだった。グーグル・ドット・コムは、スタンフォード大学のふたりの大学院生が、インターネットの検索を容易にする新作ソフトウェアを引っさげて始めた会社だったが、そのソフトの性能のほどは、まだなんとも言えない状態だった。(346ページ)

反トラスト法裁判とか懐かしいなー。

読み終えてから気づいたけど、著者のマイケル・ルイスは世紀の空売りの人でした。サブプライムローンのカラクリを見抜いた男たちを描いたこの本も面白そうなのでそのうち読みたいな。